体罰、選手と指導者の関係

「体罰、選手と指導者の関係」について書きます。 
 
 
2012年12月、大阪府の大阪市立桜宮高校で、
高校2年生の男子生徒がバスケットボール部の顧問から体罰を受け、
その翌日(23日)に自宅で自殺するという事件が起きました。

彼は2012年の9月からチームのキャプテンに任命され、
キャプテンの名に恥じぬようなプレーをしようと努力していました。
そのキャプテン就任以降、常習的に体罰を受けてきたものと思われます。

体罰の事は家族には相談していたようです。
(報道によると30〜40回殴られたと言っていた)
そして顧問の体罰に悩んでいる旨を手紙にして渡そうと決めたそうですが、
自殺の数日前にその手紙を周囲(チームメートなど)に見せると、
「また怒られる」と言われ、渡せないままになったそうです。
(その後、その手紙の内容が公開されたようです。私はまだ見てませんが・・・)

また、自殺の1週間ほど前から、口数がめっきり減っていたそうです。
おそらく手紙が自分の気持を伝える唯一の方法だと考えていたので、
それが渡せなかった事で気持ちが沈んだのではないかと思います。

そして自殺前日の22日には練習試合がありましたが、
その試合中に顧問がプレーミスをした選手を叩き、
特にキャプテンの彼だけが集中的に叩かれ、怒られていたそうです。

その日の午後9時半頃、自宅へいつもより明るい声で帰宅した彼は、
「お弁当美味しかった」と母と明るく言葉を交わし、
母が「叩かれたんか」と聞くと「いっぱい殴られた」と話したそうです。
心配をかけまいと無理をしていたのでしょうか・・・。

その翌日の午前6時半頃、
自室で制服のネクタイで首を吊った状態で発見されたそうです。

遺書も発見され、その中には、
体罰に悩んできた事、顧問が自分だけに厳しくしてきた事、
キャプテンとしての責任感、
そして自殺する事への侘びと「育ててくれてありがとう」
などと書かれていたそうです。

その他、報道による情報をまとめます。
・顧問の情報
過去に16歳以下の日本代表チームのアシスタントコーチを担当。
平成6年から同校の体育教員として勤務し、
バスケットボール部を全国大会の常連に育てた。
この顧問の指導を受けるために学区内に転居する生徒もいるとの事。

・自殺生徒の情報
勉強熱心で成績は上位、真面目で責任感が強く、口下手。
バスケットボールは中学時代に大阪府の選抜メンバーに入るほどのレベル。

・通夜の日、「(息子の)顔を見てやってください。
体罰の痕が分かるでしょう。これは指導ですか?体罰ですか?」と母が問うと、
顧問は「体罰です。すいません。」と謝り、母は涙を流していたそうです。

・2011年9月にも通報がありましたが「体罰なし」と結論されていたそうです。
その当時の校長はその後に転任したそうですが、
通報については現校長には引き継がなかったそうです。

・部員アンケートは目を通しただけで、半月間放置されていたとの事です。
・自殺後1週間以上も顧問や校長による両親への謝罪がなかったそうです。
生徒の父親「学校の対応は後手後手の印象があり、不信感を持った」
(学校はおろか、教育委員会の対応もずさんだという事が言えます)

・当時の他の生徒、卒業生OB、副顧問などによると、
生徒「バスケ部員が顧問に怒鳴られている事は常で、厳しい部だった」
卒業生OB「先生の行なってきた事は間違っていない」
副顧問「顧問は恩師であり、口出しする事はできなかった」
(尚、副顧問は自殺前日の練習試合でも体罰を黙認しています)

以上が事件の概要です。
このように書いているだけでも私は涙が出そうになります・・・。
皆さんはこの事件を知って何を考えますか?

「幸い」と言って良いのかは分かりませんが、
報道が加速した事によって、
これだけ大きな問題として扱われた事は非常に大きな意味があります。

「彼の死」をきっかけにして、今まで耐えてきた人が、
勇気を持って体罰を告発するようになりました。
(もちろん言えない人も依然としている訳ですが・・・)
柔道の体罰問題を始めとし、多くの体罰問題が明るみに出ています。
そのほとんどの問題が未だに解決できていませんが、
日本のスポーツ界が変わるべき時に来ているのではないかと思います。

ただ、今まで体罰でなかった行為が体罰と判断される事も多くなり、
どこからどこまでが体罰か、という事は曖昧なままです・・・。



続いては事件とは別の事として話をしますが、
何故「指導者は体罰をするのか」という事について考えます。
人それぞれ考え方は違うと思うので、
あくまで「個人的な意見」としておきます。

●考えられる原因
1.閉ざされた空間で指導者の好きなように指導ができる
2.その指導者に意見できる人がその場にいない、意見をさせない
3.その指導者も選手時代に当時の指導者から体罰を受けていた
4.その指導者も親から体罰を受けていた
5.その指導者がイジメの加害者側だった事がある
6.短期で熱くなりやすく、元々暴力的
7.元から体罰をする指導法が正しい、または当たり前だと思っている
8.体罰など人を傷つける事が好き、あるいは快感に感じている
9.選手をストレス発散の捌け口にしている
10.成果、結果主義である
11.選手と指導者を差別化するため、自分の権力を誇示するため
12.選手と指導者の信頼関係が崩れる何らかの原因が体罰以前にあった
など、このような場合が考えられると思います。
私なりに順番に考えてみます。

1と2について。
人間は一旦権力を持てる環境におかれるとその権力を誇示しようとします。
特に今まで権力を得た事がない人にとっては、
一度権力を得るとその権力を失う事が怖くなってしまうのです。
誰にも自分の環境や権力を奪われないようにするため、
だんだん部外者を立ち入らせないような環境を作っていきます。

選手はもちろん自分以外の誰にも意見をさせないようにします。
その環境を作れば、全て自分のやりたいように指導できるからですね。
そしてそのような閉ざされた環境で一度でも結果を出してしまうと、
その環境が正しい、当たり前だと勘違いしてしまいます。
その環境を失うのが怖くなり、その環境を必死に維持しようとします。

他から意見が入って来ないので、自分の指導法が間違っているかどうか、
善悪の判断もできなくなり、どんどん考え方が偏っていきます。
最初は躊躇していた「選手に手をあげる」という行為も、
次第に手を挙げる行為自体を自分の中で正当化していきます。
最終的には体罰を行なっているかどうかの判断もできなくなっていきます。

自分の指導法が変わってしまっている事に、
本人も気付いていない場合が多いという事です。
何せ何年もの間、他からの意見を受け入れて来ず、
自分の今の指導法が最も正しいと思ってきましたから。

何年も自らが築き上げてきたものがありますから、
例え間違いを指摘されてもいきなりの路線変更は難しいでしょう。
こういう指導者は結構いますが、途中で気付く人は稀であり、
何かが起きてから気付かされるという人が多いと思います。

3と4について。
これは自分が体罰を受けてきたから、
自分も体罰を行なって構わないという考え方ですね。
それで一旦結果が出てしまえば、ますます体罰を肯定していきます。
結果が出た=体罰の影響=自分には指導力があると勘違いしてしまうのです。

よく「私はそのような時代で育ってきた」
「私の頃はそれが当たり前だった」と肯定する人もいますが、
今はそのような時代ではないので、比べる意味が全くありません。
自分の時代に体罰が許されていたからって、
今の時代でそれが通用する訳がないと思います。

そういう人に限って今の時代を知らない癖に、
知ったか振りして若者を蔑んだりするんですよ(笑)
単に自分の考え方を否定されるのが嫌なだけだと思います。

5〜9について。
これはその人が元々暴力的な中身だという場合ですね。
これに関しては人格的な問題なので、
大人になった今更、簡単に直るようなものではありません。

指導者自身もそうですが、止めない周りの人間にも問題があります。
指導者としてその人が適切であるかないかを、
その人の実績や資格のみで判断しているからではないでしょうか。

10について。
実績が欲しい指導者はどうしても結果や成績を重視しがちです。
目標設定が適切ではない場合が多く、
選手の実力が伴わないのに指導者が無駄に熱くなったりします。

選手が自分の思い通りに動かない事でストレスを感じ、手を上げてしまうのです。
実際にプレーをしているのは指導者ではなく「選手」です。
選手が自分のプレーができるよう、環境を整える事が大切だと思います。

11について。
よく「選手と指導者は友達じゃない」と言って、
無理やり自分の立場を明確化しようと手を上げる人がいます。
貴方の人格や指導力が選手に合っていれば、
選手は自然に貴方の事を尊敬してくれるのではないでしょうか。

12について。
選手が努力している姿を評価していなかったとか、
ミスをした理由を聞かず一方的に怒るとか、八つ当たりするとか、
練習に遅刻するとか、マナーが悪いとか、肝心な事を教えてくれないとか、
そういう細かいものが重なる事で信頼は薄れていきます。
指導者が思う以上に選手は指導者の事を見ていますよ。

10〜12については、
今からでも遅くはないので路線変更を考えて下さい。
桜宮高校の彼のようになる前に・・・。
選手に手を上げる前にもっとすべき事があると思います。



最後に体罰に対しての私の考えを書きます。
私は体罰が「絶対に禁止」とはっきり言い切る事はできませんが、
スポーツ現場においては「必要ない」と思っています。

理由を述べます。
1.体罰が必要と判断する能力
2.体罰に頼った指導
3.力の行使
4.体罰で選手の能力が上がるのか
5.親による教育
6.スポーツによる教育

1について。
まず第一に体罰を行う人や体罰を肯定する人は、
「体罰が必要だと判断する能力があるのか?」という事です。
その能力がないのに、あるいは自分にはあると勘違いし、
最初から体罰を肯定している人に限って、
怒りに身を任せて叩いたりするのです。

また「体罰が必要だと判断する能力」を評価するのが、
その学校の関係者では全く意味がありません。
もっと「外の目」を入れる必要があると思います。

よく「痛みを与えて初めて分かる事もある」と言う人もいますが、
スポーツをやっていれば誰しもが痛みを経験します。
怪我、筋肉痛、喧嘩、転倒、エラー・・・など、
その度に自分で学んでいく力が選手にはあります。
指導者が考える以上に選手自身は分かっているものですよ。

「叩いて分からせる」の「分からせる」の部分も、
自分の立場を危ぶませないよう恐怖で従わせているだけだと思います。
従わされているだけの選手はいざという時、
自分だけの考えでは行動できない指示待ち人間になってしまいます。
指導者の恐怖に怯え、また同じミスを繰り返してしまうでしょう。

選手の自主性を重んじない体罰は、
全く「指導」ではなく、単なる「服従」です。

実際にプレーをするのは指導者ではなく選手で、選手が主役です。
どんな選手も自分のプレーができるような環境を整える事が、
指導者としての手腕なのではないでしょうか。
その手腕が「体罰」である必要は全くありませんよね。

叩いた方も叩かれた方も痛いのが体罰です。
その「痛み」という犠牲を払う必要が本当にあるのでしょうか?
犠牲を払って得た成果などに何の価値もありません。
そういう日本人の自虐的な考え方は変えるべきだと思います。

2について。
指導者に「そもそも体罰以外の部分の指導力はあるのか?」という事です。
選手を見る眼、選手采配、戦術、人柄、マナー、教え方など、
体罰を行う理由が指導者の何らかの「不足」によるものだとしたら、
その不足を体罰で隠して見えないようにし、単に体罰に頼っているだけだと思います。
体罰を行う前に自分を鏡で見てみたらどうでしょうか。

体罰前提では「指導者」の体罰以外の部分が養われないと思います。
「体罰を行わない指導」もあるという事を勉強しましょう。
体罰を行う前にまず自分を極めたらよろしいのではないでしょうか。
向上心を持つべきなのは選手だけではないと思います。

3.既に書きましたが、
指導者の選手を見る眼、選手采配、戦術、人柄、マナー、
教え方などに問題がなければ、
選手は自然に指導者の事を尊敬してくれるはずです。

指導者として尊敬されていないという事は、
少なからず指導者自身にも問題があるという事ではないでしょうか。
それを自覚し、自分を見つめ直しましょう。
指導者は選手に否定されてこそ成長するものです。

それに例え友だち感覚でも別に良いんじゃないですか?
単に厳しいだけで勝っても見ている方は楽しくないです。
見ている方も楽しませてこそのスポーツだと思います。

4.仮に選手の能力で「体罰で伸びる部分」があったとすれば、
逆に「体罰以外で伸びる部分」もあるという事ですよね。
その部分を伸ばさずに体罰で伸びる部分だけを伸ばし、
選手の持っている能力が引き出されていると果たして言えるのでしょうか。

能力が上がるか否かは選手本人のやる気次第であり、体罰の有無は関係ありません。
そしてそのやる気を上げる際には必ずしも体罰が必要とは限りません。
逆に体罰をしてやる気が削がれ、能力が下がったらどうするんですか?
その人が実は何年かに一度の逸材とかだったらどうするんですか。
またその選手をみすみす見捨てるのでしょうか・・・。

と言うと「体罰で伸びる部分もあるのでは?」と言われそうですが、
体罰を行う指導者に限って「体罰以外で伸びる部分」を引き出せていないのです。
それは何故かと言ったら体罰に頼りきっているからです。
2でも書きましたが、
まず指導者としての体罰以外の部分を極めたらよろしいのではないでしょうか。

5.まぁこれは教師か外部コーチかによって違いますが、
選手と最も長い時間を共にしている親が教育できないのに、
スポーツの指導者に親以上の教育できる訳がありません。
それなのに指導者が親以上の体罰を行おうとするのは違うと思います。

あくまで選手にとっての本当の指導者は「親」であるべきです。
体罰をする事で親よりも指導者の方が立場が上になっては、
親が指導者に逆らえない、意見できないという閉鎖的な状態となり、
ますます指導者が力を行使したがるようになると思います。

全てにスポーツの指導者が口を出す必要はありません。
親が教育すべき所は親に任せましょう。
ただし親に体罰をしてもらうという事ではありません。

6.よく「スポーツは教育である」と言う人がいますが、
スポーツは自分から学んでいく「自主学習」のようなものであり、
本来は誰かから何かを教えられるようなものではありません。
偉そうに「教育してやる」なんて誰も望んでないです。

コーチングとティーチングは全く別の物です。
勉強は指導者(教師)からの一方通行でもそれなりに上達しますが、
スポーツは指導者からの一方通行だけではすぐに限界が来てしまいます。
ましてや体罰など一方通行以外の何物でもありません。
何せ、選手からは指導者には体罰を行えないのですからね。

何度も言いますが、実際にプレーをしているのは選手です。
選手の自主性を高める「指導」が重要だと思います。



以上です。
私としては体罰なんかなくても、
選手の能力を引き出す方法はいくらでもあると思っています。
それこそ選手それぞれですから、
逆に体罰が前提の指導では選手本来の能力を引き出せないと思います。
ですので、体罰は「必要ない」と思っています。

というかそもそも体罰の定義自体が曖昧ですから、
体罰に関しては、指導者、選手、保護者、学校関係者ではなく、
それ以外の「外の人」が判断すべき事です。
閉鎖的な空間ではその空間独自の「体罰」という定義を作ってしまうからです。

中の人たちが体罰ではないと思っていても、
外の誰かからしたら体罰だと判断される事もあります。
例えば野球の千本ノックやバレーのレシーブ練習、
外でのランニングでさえも体罰だと思う人がいます。

また、日本人には自虐的な考え方と集団を美とする考え方が、
潜在的な所に染み付いているのではないかと思います。
それによって傍から見れば体罰とも思えるものを、
選手・指導者・保護者個人、チーム・学校などの集団では許してしまうのです。

指導者による体罰云々が問題化する前に、
そういう外の意見も取り入れる事ができる環境にするべきだと思います。
つまりそういう外の意見を入れさせない環境を作った周りにも責任があるという事です。
スポーツというのは学校や指導者や選手だけで作るものではないからです。

学校には問題を学校だけで処理をしようとする、
傍から見れば隠蔽だと思われても仕方がない体質があります。
そういう環境を改善するのももちろんそうですが、
預けるこちら側も考え方を変えない限り、体罰やイジメは減らないと私は思います。
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